
ゴールデンウィークは遠出をせずに満喫出来ました
では、5月3日(土)☀より。
当初、ゴールデンウィークは泊まりで…と考えていましたが、突然の私の体調不良により、計画断念
何も考えつかないまま、ゴールデンウィーク突入
この日から夫婦そろって休みに入ったので近場お出かけに
しかし、今日は道がきっと混んでるだろうと踏み、バイクニケツで出かけることに🏍️
久々、バイクに乗るのでちょっと恐怖😱(あっ、後ろに乗っけてもらうのがね)
(あっ、そこのラムーでお弁当買って)
腹ごしらえが済んだら兵庫県庁館へ、バイクを飛ばします🏍️

右側の建設中なのが今年の11月にオープンする「ひょうごはじまり館」。それはまた今度。
一番面白かったのは、「南京玉すだれ」の催しで

お父さんが前に出て、カツラとチョッキを着て鈴を鳴らしてたことでしょうか😁
今日のメインは「兵庫の津」散策
その一つが「兵庫の津」
昔の呼び名は「大輪田の泊」です
海上交通の大動脈となっていた瀬戸内海を昼間の一日で交通できる距離ごとに設けた泊です。
「韓泊(からはく)=福泊」→姫路市的形町福泊という地名で残っています

兵庫の津も、今はたくさんの車が行き交う大きな道や商業施設が立ってます
が、昔の地図と合わせると当時のままの地名があります
「船大工町」

海を挟んだ向かい側が「磯之町」
ここは昔のままとぬの地名

青ペンでマークした部分は昔の内海。ここが当時の港の中心部
左側は埋め立てられてますが、右側は当時のままの海です

今は内海から運河(新川運河)になっていて水門で仕切られてます。

水門の中の内海(新川運河)には船が停泊してます。

L字に曲がって当時のままです

↑その角に新川運河の工事の際、4トンの巨石20数個と一定間隔で打ち込まれた松杭とともに発見されたうちの一石が展示してありました。
この写真では大きさが分かりませんねぇすごい大きいです

きっとこんなふうに引っ張ってきたんでしょうね大変
この大岩は古代大輪田の泊の石椋(いわくら=石を積み上げた防波堤)だったと推定されたそうです。
この大岩は平清盛の時代に整備した防波堤の大岩かも…と想像するだけでワクワクしますね
神戸港が1300年もの間、栄えているのは、平清盛が大輪田の泊に目をつけ、日宋貿易の拠点として整備し、福原に遷都したことが挙げられます。(半年足らずで都を京に戻し、平氏の衰退へとつながっていきますが…)
大昔の物が出てくるって面白いですよね。こんなの大好きです歴史を感じます

新川運河沿いの遊歩道を歩いていくと

兵庫城跡の碑
(花隈城といえば、荒木村重が転々と逃げてここに籠もり、攻防戦の中、脱出して毛利側に身を寄せその後、茶人となった…の流れに出てくる城です🏯)
歩みを進めると水門があり

立派なめがね橋です。

1945年神戸大空襲で水を求めてこの橋に避難した多くの市民が炎にまかれて命を落とされたそうです。

そして50年後、神戸淡路大震災でこの橋の親柱が被害を受けるという、2度も災害にあった橋です。

そして50年後、神戸淡路大震災でこの橋の親柱が被害を受けるという、2度も災害にあった橋です。
しかし、実は平清盛の墓でなかったことが移築した際に判明
平清盛の供養塔だったということです。

しかし、立派な、見上げる高さの十三重の石塔です。
ここからまだ北西へ進むと能福寺の兵庫大仏が見えてきます。


格式の高いお寺で、歴代天皇もお参りされていると書いてあります。
…
それより、興味を引いたのは…

それより、興味を引いたのは…

出たぁ「ジョセフヒコ」
日本名は浜田彦蔵。ここにも
簡単に言うと

この碑は日本初の英文碑とのこと
神戸港にやってきた外国人がこの兵庫大仏にたくさんお参りに来られるので

当時の住職がジョセフヒコに縁起を英文で書いてもらったそう
左は九州、右は京都へ。

兵庫の津が栄えてくるとともに津を経由するためにわざわざ街道が曲げられたそう。

ここは「札場の辻跡」と呼ばれ、海と陸がつながる接点で当時の賑わいが想像できます

今はほとんど利用されず、レクリエーションなどの役割に変わってきています。
いやぁ、歩いてみると「身近な都会のおしゃれな神戸」のイメージですが、
歴史を感じるものがたくさん残っててとっても勉強になり面白かったです

最後までお付き合いありがとうございました












